ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

世間じゃない

最後に髪を切ってから1ヶ月が過ぎました。前から思っていますが、ここ数日は特に髪を伸ばしたい思いが強まっています。街中でも職場でも、純女さんが長い髪を揺らし歩いているのが視界に入る度に気分が落ちる始末。

 

ハーフアップもできるようになり、長さとしてはワイシャツの襟に当たる程に伸びましたが、最低でも鎖骨にかかるまではいきたい。でも、それはいつのことになるのか、現世で訪れるのかと思ってしまいます。今月末で髪を切って1ヶ月半ですが、少なくとも2ヶ月になるまでには切らなければいけない。そのサイクルが延々と続くようでは、一体いつになれば髪を伸ばせましょうや?

…と日々頭をぐるぐるさせる一方で、自分の髪をどう扱うかについて別に宗教的戒律のような強い禁止はされていないともわかってはいるつもり。伸ばすという行為単体で見れば、自分がそうすればいいだけの話。「私が髪を切らなければいけないのは、私がそう思っているから」とまで言えるかも知れない。

 

それでもなお髪を伸ばせずいるのは、人間が社会的な存在であるのを言い訳に「世間が許さない」と自縄自縛になっているからなのでしょう。髪もまともに縛れぬのに自分を縛っている。

髪を伸ばすのも度を越せば職場での立場が危うくなり、職場を追われれば収入が断たれ、そうなれば程なくして暮らせなくなる。こればかりは私の思い込みではなく真実に近い所にある…ということにさせて下さい。まだまだ世の中そんな甘くはない。

 

望みはあるのに踏み切れないというのは、弱い自分を痛感させられるだけでなく、今の醜い自分を自ら維持してしまっている点でも辛いものがあります。現世で望みは叶うのかな。やっぱり”リアル脱出ゲーム”に本腰入れるしか無いのか。

…吐き出していたらいつも以上にまとまらない記事になってしまった。