ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

LGBTQ100人のカミングアウト2019

国際カミングアウトデーの本日、1本の動画が世に出ました。


LGBTQ100人のカミングアウト2019 【 僕たちの未来のために 】

 

「LGBTQ100人のカミングアウト2019【僕たちの未来のために】」と題されたこの動画。YouTuberで、LGBTQに関する発信を主に全国で活動している「かずえちゃん」さんにより2017年から投稿されている動画のシリーズ3年目です。

 

僭越ながらこの私、この度こちらの動画に出演させて頂きました。私という存在を、セクシュアリティを何も隠さぬ私という存在を、インターネットで全世界に公開する。Twitterでさえ写真の顔を徹底して隠す私がいきなり動画で顔出し。原家族にも職場にもカミングアウトをしていない上に、以前からの友人知人にも「投稿内容で察して」程度だった私が!この決断に至るまで、何度も迷いました。

初めてこのシリーズを見たのは昨年のこと。当時はジェンクリへの初診を控えていた時期。つまり、医師の下での治療は何も受けていませんでした。そんな中、多くの当事者の皆さんが思い思いのメッセージを述べていく動画にはとても背中を押されて。その中でも特に『変わる権利はあるけれど、変わる義務は無い』というメッセージには本当に目頭が熱くなりました。今もなお”規範”に阻まれながらの折れそうになる移行ではありますが、折に触れて思い出す言葉です。

 

話を今年に戻して。Twitterで動画撮影を開始した旨が告知されました。頭をよぎるのは、自身が出演すること。しかし、治療開始から(投稿時点で)1年経ち診断も出ているというのに、未だにフルタイムでの移行生活はおろかカミングアウトすらできていない身。そんな私に参加資格はあるのか?恥さらしになるだけでは?そう考え、参加するか否かをだいぶ迷いました。

しかし、日々生活したり記事を書いたりする中で思ったのは、「トランスジェンダーのカミングアウトというと既に埋没済の人のそれが取り沙汰されがちだが、性別移行開始時あるいは途中でのカミングアウトはなかなか取り上げられていないのでは?」との疑問でした。出生時の性別に典型的でない外見になる/なっていくことで生じる困難。私が参加することで、少しでもこうした人の存在を示せるのでは?と次第に思うようになりました。

 

そして、迷いに迷った末に参加を決意。撮影当日は祖母の納棺がありましたが、何とか時間を作れたので着替えて撮影会場へ。実は直前まで顔出しはしないつもりでいたのですが、またと無い機会であるし何より「見られたくない連中はそもそもこの動画に辿り着かない」という残念な真実を(幾分か)孕んだ確信により、顔出しすることに。

私の中ではそんな紆余曲折があり、恐らく私以外の115人の方にも様々な葛藤や紆余曲折があり、その上にあの動画が出来上がっています。かずえちゃん、この度はありがとうございました。こんな私でも少しだけ前に進めたと思います。

 

髪が長いのは、そんなにいけないことなのか?

 

116人の魂の叫び。

届け、届けーーー私の、私達の「ことば」。