ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

論敵の視座

先日読んで唸った記事。

anond.hatelabo.jp

氏の主張やtwitterアカウント凍結と"なりすまし"発覚の経緯等については有識者各位の論考に譲るとして。青識亜論氏がtwitterアカウントを相反する主張で使い分けていた目的について、上記記事での「増田」氏の考察に共感できる所がありました。いや、「私が考えていたことを代弁してくれた」とまでは言えると思う。

 

論敵の視座が欲しいのよ。

麻雀上手くなる方法は4人分全部自分で打つことだから

相手の席に座って相手風景で見て相手環境に首まで浸かって考えんの。

からキタノエニシはフェミニスト議論を止めよう邪魔しようとかしてないし、逆に進めよう広げようともしてないだろ。

自我を出していじったらやってる意味なくなっちゃうからだよ。

 

そう、論敵の視座。私が欲しかったのもまさにこれだったのです。性的マイノリティ、ことトランスをめぐる諸問題について、当初は他称*1TRA側だった私。他称*2TERFに対しては「何故こうも酷い言葉を吐けるのか。あまりに人を蔑ろにしてはいないか」と感じたものです。

そこから始まって、「あちらの連中はどうしてこのような主張をするのか」と知りたい思いが湧いてきました。私は当時"敵情視察"という言葉を使っていましたが、まさにこの『論敵の視座』ですね。それを知る為に他称TERFを次々とフォローしていきました。するとどうでしょう。私はそこで言わば「木乃伊取りが木乃伊にな」ったわけです。ただ、自身の性別違和が社会的なことよりまさに身体に端を発していたこともあり、出生時の性別を重視する主張は私にとって大いに頷けるものでした。トランス性と犯罪の危険性を"結び付ける"考えについても、トランスを人種等に置き換えればド直球の差別だという認識はありました。しかし自身がかつて持っていたインセル的な考えから、虞犯存在として警戒するのも無理はないとの思いが強まりました。全員がそうではない、とは思いますけれど。ただ、差別的「とされる」考え方がそう簡単に無くならない以上は、そうした考えが主流であると認識した上で世間と対峙していった方が、自分が受けるダメージは少なくなると考えています。

 

私自身、「闇堕ち」と称された時期もある等で紆余曲折ありましたが、トランス当事者としてそれが故に不当な扱いを受けることは反対しつつも、出生時の性別は重視するという立場でいます。

さて、これから始まるLGBT法連合会のセミナー。これをまさか以前と逆の立場から『論敵の視座』を得る為に聴くことになろうとは。論って言葉も、二分するというか対立を煽るみたいであまり良い響きはしませんがね。

*1:Trans Rights Activists. 団体や組織として存在しているわけではないが、当事者のアイデンティティを重んじ多くはリベラルと公言している発信者が総称的にこう呼ばれる。学際的な領域やホワイトカラー層にこの立場を採る者が多い……と認識しています。

*2:Trans-Exclusionary Radical Feminists. こちらも総称。当事者の移行先ではなく出生時の性別と、それに基づく身体機能を重んじる。"生物学的女性"の安全と安心を至上命題に掲げるも、しばしば差別的であると糾される。どちらかというと保守的な立場を採る者が多く見受けられ、これまで黙殺されてきた権力も財力も無い"市井の女性"の声を権威や大衆に向けて届けることを目指す……と認識しています。