ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

おっきい!Aceのお家 東京 昼の部

本日は、特定非営利活動法人「にじいろ学校」様主催のイベント「Aceのお家」昼の部に参加してきました。各所で私も度々お世話になっているにじいろ学校。こちらはAsexual Awareness Weekというアセクシュアル認知向上活動の一環として開催された、当事者間の交流イベントです。

 

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都内にありながらなんとも風流な佇まいの古民家リノベ物件が本日の会場。昼の部として設けられたのは3時間で1時間交代。初心者、パートナー、アロマンティック、ノンセクシャル、大人、行政書士の6ブースで構成されていました。

 

私は最初に大人ブース、次に2時間連続で行政書士ブースに参加。前者では家族・親戚付き合いにまつわるお悩みのシェア、後者では孤独死や終活に関する講義・質疑応答などしておりました。3時間を終えてみて私は、

 

「自分の人生は自分の為に生きたい!誰かに勝手に決められたくない!」

 

と強く感じました。これに尽きる。

まぁ今更なことではあるのですが。性的マイノリティとして生きる身には昭和の亡霊たる”常識"ってやつが息苦しくて。やれ彼女は結婚は孫の顔は老後の面倒は長男だから云々…と。その辺のことからすぽんと抜け出して生きていきたいのは山々ですが、空気感も制度もまだまだ血族中心なのが実情。さあそれでは今の時代の仕組みに沿ってなんとかやっていかないと…という状況にあって、この3時間はとても有益なものでした。

一人で生きていくこと、一人で死んでいくこと、一人として送られていくこと。そのそれぞれに対する不安の強弱と準備すべきもの。今まで漠然としていたそこを、少しは整理できたように思います。

アセクシュアルとして一人で生き、アセクシュアルとして一人で死に、一人のトランスとして送られていくこと。もっと平易に言えば、法的なパートナーのいない中で人生を終えていき、出生時の性別に則って葬送されること。これが私の老後…というか死への不安の内訳のようです。

 

祖母の死から葬儀の一連の流れを受けて自分ごととしての意識が強くなったこの問題。体調が落ち着いたらできる所から手を付けていきたいと思います。だって今朝起きたら声出なかったんだもの。不調をおして参加する価値のあるイベントではあったけど、土日も詰まっているしどこかで休みたいなぁ。

 

今日のイチオシ本だけ最後に挙げておこう。ではジェンクリ行ってきます。

おひとりさまの老後 (文春文庫)

おひとりさまの老後 (文春文庫)

 

 

おひとりさまの最期

おひとりさまの最期

 

 

想像のレッスン (ちくま文庫)

想像のレッスン (ちくま文庫)