ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

若いからって

法事の会食でのこと。

 

後半、親族の孫世代が近況報告を求められた時。粗方皆さんの話が終わり、私はうまい具合に逃げおおせ(11/30の記事参照)、実父が話を締めようとしました。意味合いとしては、皆これからも息災でいてくれという旨のことだったのですが、言い出しにこんな言葉を持ってきたのです。

実父『まぁ皆さん若いから病気とかどこか悪いとかは無いと思いますが』

これ。私はとてもビクッとしたし、いただけないなと思いました。『若い=病気などない』という発想は、そこから外れた者をいないものと見なす発想・仮に何か患っていたとしてそれを言えなくさせる発想ではないでしょうか。私自身、不整脈性同一性障害を抱えながら過ごしています。それに、私が幼少期〜*1小卒まで先天性心疾患やらカウンセリング治療やらと頻繁に医療機関を受診していた事実は何処へ行ったのでしょう。幼くたって、若くたって、年老いたって、病気になる時はなります。今なっていなくても、ずっとならない保証はどこにもない(そりゃそうじゃ)。

この言葉を聞いた私は、ますます原家族に現状を説明できないなと感じました。孫世代で一番若いくせに病院通い。自分じゃ健康管理もできないなら実家に戻れ、という話になる未来が見えます。あぁ、治療しながら、うまく付き合っていきながら日々生きている「私」を見ることは実父には難しいのだろうな。72になるまで、大酒飲みでありながら大病一つせずに来れてしまったが故か。こういう言葉一つひとつで原家族との距離がどんどん離れていく。原家族側はそうと気付かぬままに。哀しいなぁ。

 

「病気でないこと=健康か?」という命題に私はNoと答えます。また、決定的な生き死にや大怪我・大病でもない限り、各人がどんな状態であろうがそれなりにうまく日々を過ごしているならそれで良いのではないでしょうか。決めつけに基づく潔癖な健康観よりも、もっと広く大きくQOLを見ていく健康観を持っていたい。きっとその方が自分が生きるにしろ誰かとやり取りするにしろ、余裕ができると思うんですよね。

 

なんというか、とても余裕の無い家庭で育ったのかも知れません私は。不登校期には強迫様症状もあったし、肛門期固着の文脈で生育歴を辿ってみるのもアリなのかなぁ。性別のことに比べて覚えていることは少ないのですが。

…それにしても実父の言葉はいただけない。本当のことを言える日なんて来るのだろうか。

*1:実態は形式卒業ですが。