ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

4年ぶりの実家

初日の出・初詣の後、午前中の短い間だけではありますが、4年ぶりに実家へ帰省しました。近付くにつれて胃腸が回りだし脈は速くなっていく。それでも自分が決めたこと。パーカーのフードで髪を隠し、意を決して実家の門を叩きました。

実母に迎えられ中へ。長く離れていたためか、まず感じたのは家の匂いの違い。そして、法要で会った時には気が付かなかった「小ささ」でした。実父は後期高齢者、実母は還暦を迎えたのだから当然だけれど、時間が私達を隔てていたことを実感するには十分でした。リビングに入る前に、母方祖母の仏壇へ。写真が盛大に飾られており、思わず涙目になりながら線香をあげました。次いで父方祖父母の仏壇にも手を合わせてからリビングへ。いよいよもって小言が始まるのかとビクビクしながらソファーに荷物をおろしました。

 

パーカーのフードを被ったままでいると、実母から『別に何も言わないから』との甘言が。訝しみつつも、イマドキ流行のウルフカットだと弁解しながら髪を露わにする。驚くことに、実母の勤め先の若手職員もウルフなのだとか。また、老いた際のシモのことを見越してVIO脱毛を考えているという話まで飛び出し、これは隠しようもないので私も全身脱毛について色々と説明などすることに。こんなやり取りを実母としようとは、言葉の刃を向けられるものだとしか考えていなかった私にとって思わぬ肩透かし。私除き唯一未だ独身の従兄の話題が出ても私に向けて彼女は孫はと言わず、実母との会話を『父さんにはわからない』と言いつつも横でただ聴いている実父。

私が帰らなかった4年の間の両親に何があったかはわかりかねますが、「イマドキのことはよくわからないが、そういうこともあるのだろう」という形で距離を取ることを覚えてくれたように感じられました。もしかしたら1年半前に実父へ送った私の"自己主張"メールが影響しているのかも知れませんが、その辺の核心的な話は挙がらなかったため詳細は霧の中。しかし、秘密は無し・『心配だから』何でも知りたいと息巻いていたかつての両親はそこにはありませんでした。

 

最終的にはおせちまでご馳走になり、午後に用事があるからということ(方便)で実家を後にしました。実父から言われた『月に一度くらいは連絡』は達成するつもりが今のところ無いものの、「今年の内に一度くらいは」実家の敷居を跨ぐことも吝かではない心境にあります。なんだか両親の掌で転がされたようで釈然としませんし、短時間の滞在だったからこそ私が恐れていた展開にならなかっただけかもしれない。

無理して低い声を出し、パーカーのポケットに手を入れて胸を隠す。その「一番伝えたいこと」を伝えるには時間がかかりそうですが、帰省前よりはその時間が短くなったように思わされています。ひとまずは「今回は距離を詰めないでくれてありがとうございます」と思っておきますね。