ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

第九

かのベートーヴェンの代表作、交響曲第9番。通称「第九」。日本では年末の公演が風物詩となっていますが、私も多分に漏れず大晦日に演奏する運びとなり。


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ちょうど昨日がその練習でした。楽譜が2種類見えますが、左が今回演奏するトロンボーンのもの。右は4年前に大学の管弦楽部の演奏会に参加した時の合唱のものです。合唱の時の記憶は楽器でも曲の理解に役立っています。しかし同時に、私のライフワークたる音楽の中で合唱だけは唯一「辞めてしまった」と言わざるを得ない事実も強く噛み締めることに。

 

Ftの人と異なりMtの場合はホルモンの投与で声の高低は変わらないので、望む声を出す為には必然的に訓練をすることになります。最後に第九を歌った頃まではまだ自分の声が音楽的に活かせるものであるという認識の下、何もしてはいませんでした。しかし、いざ移行を始めるとやっぱり声はコンプレックスのカタマリであることに気付いてしまい。男性としても非常に低い部類であるこの声を、可能な限り出したくないと考えるようになりました。

原家族相手にはまだまだ低い声で話さざるを得ないのですが、日常的に使う声はまだまだ女性には聞こえないまでも高さだけは上げてきました。そんな程度なのでまだまだ*1女性の音域で歌える訳も無く、かと言って男性の音域で男性として歌うことも拒否感が強い状況に。そもそも合唱…というかいわゆるクラシック的な声楽という形態が男女でパートを分けられてしまうので、そのどちらにも属せない私はもう合唱を「辞めてしまった」のです。

声オペまでできるのならその上でアルトとして再開…なんて道もあるかも知れませんが、現実的ではない。中村中さんをはじめ性別を移行しながらも活躍するシンガーはいますが、私の活動するフィールドにおいては「辞めてしまった」ものとして動くことは無いのでしょうね。

 

第九は合唱としての最後の本番でもあったので、つい色々と思い出してしまいます。オーケストラで演奏する第九を聴きたい方は、大晦日羽田空港国際線ターミナルに行くと何かあるかも知れませんよ。

*1:喋りと歌ではまた身体の使い方が違うし。