ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

前の呼ばれ方

青春()を過ごした学び舎。一昨日今生の別れを済ませたと思ったか?あれは嘘だ。

 

というのも、部活の定期演奏会を毎年お手伝いさせて頂いており昨日はその練習で高校を訪れていた。1日振りだな…。今年度はあまり都合を付けられずほぼ*1ゲネ本状態なのが残念だが、乗せて頂けるのだからそれだけの務めは果たさねばと気を引き締める次第。

 

練習が終わり、現役時に代が被っていた後輩と一緒に顧問の元へ事務連絡へ。それが済んで帰ろうとすると、後輩からこんな一言が。

『先輩のことどう呼べばいいのかなーって思って』

代が被っているとはつまりそういうことで。第一に男子高校生だった私の姿があり、今がある。当時の私の呼ばれ方は男性名ないし男性の敬称に由来しており、代が被る後輩からは一貫してその名で呼ばれていた。しかし私がここ1,2年で性別移行を進めていく中で、いよいよその呼称が適さなくなった、或いは私がそう呼ばれることへの負担を推し量って気を遣ってくれたのだと思う。彼女はそこまで浮上しないとは言え複数のSNSで相互なので私信のように書くのは気恥ずかしいが、恐らく裏ではLGBTQのこととかそれこそ私の外見が変わっていくこととか、色々と思いを巡らせてくれていたのだと思う。そういった人間関係を築けたことが本当に嬉しい。

 

さてそんな後輩の問いに私はどう答えたか。「別に前から知っているんだし気にしなくていいよ」と、そう答えた。事実、以前からの関係があっての今だし周りにだって外見でわかるのだから気にはしない。確かにそうだ。これは私の性自認*2Fに振り切っていないことも影響している。また、どれ位前からの関係か、当時何と呼ばれていたのかも。

しかし、もしかしたら他でもない私自身が「男性であること」に踏みとどまっているのかも知れないとも気付いた。平日は男性として生活し身体にメスを入れられていない自分が「まだ"男ではない"ものとして扱われてはいけないのではないか」と。自分に課せられたハードルの高さを考えると当然かも知れないのだが、向こうには随分と気を遣わせてしまったなぁと申し訳無くなってくる。一応は『先輩』呼びで決着したとは言え、自分が呼ばれたい呼称すら自分で決められないのかと恥ずかしくなった。他人に委ねれば自分が主張したことを責められることも無い。各種行事の自粛に対する政府の通達を笑えない。まだまだ私にとって自己主張をすることは随分と怖いようだ。以前の関係があるから尚更、ではあるのだろうけど。

 

今の私はあまりにも負の反応が来ることを恐れ過ぎている…のかも知れない。この一件然り、対職場然り、対原家族然り。その恐怖に、いや、恐怖を味わっている自分が気遣いや憐憫を受けることに酔ってはいけない。

こうやって書くこと自体が見せつけっぽくて余計に嫌なのだけれど、自分の悪い所は見えるようにしておかないと、知らず知らずの内に色んな関係が瓦解してしまいそうなので記録も兼ねて。

*1:本番前の通し稽古のみで本番に出演すること。手練れのエキストラ奏者はよくやるが、私にはなかなか荷が重い…。

*2:性自認は「男ではない」です。確認。身体に関してはFでありたいけれど、社会的な面では必ずしもそうではなく。