ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

Laurel Hubbard

今夜、いよいよオリンピックの女子重量挙げに話題の選手が出場しますね。

 

確かに史上初のことでありスポーツ界の歴史が変わることではあるでしょうが、私個人としては「流石に限度ってものがあるだろ……」と思います。ハッキリ申し上げて反対の立場です。

性別移行とスポーツを楽しむこと自体は対立するものでもないと思います。私の場合の音楽然り、ライフワークとなるものを辞め「なければいけない」ことは無いかと。しかし、弁えるべき所は弁えましょうよ。いくら女性ホルモンを投与して性腺を除去したことにより筋力が男性のそれより低下すると言っても、第二次性徴から治療前までに形成された体格は変わらない。男性ホルモンは足し算だけれど、女性ホルモンは引き算ではない。法的に女性として扱われるようになっても、男性として生まれた事実は変わらない。

今回と同様の事例をとある学生スキー大会でも見たことがありますが、女性が鍛えてもなかなか到達できない域のものを男性時代の"貯金"として持ちながら無双するなど、選手達にとってはなんという悪夢、なんという簒奪でありましょうや。

 

テストステロン濃度やオリ/パラどちらの枠か、といった議論が不十分なままに出場が許可されてしまったことは悪手だったと思います。本人ももう少し周りを客観的に見て、流石に国際的な大会は出場を控えるとか大会出場に限らない楽しみ方を見出すとか考えて頂きたかったですね……。

トランス当事者の人権は守られるべきです。しかし、少なくとも今の時代において、度を越した主張・要求は却って自分達の首を絞めることにもなり得る。当然女性達の人権は侵害されてしまう。それはトランス当事者であっても望んではいない、と信じたいです。あくまで慎ましく、望みが叶わなくても現世では無理なこともあると割り切る。求められている生き方って、こういうものなのではないでしょうか。