ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

国際ノンバイナリ―デー

7月14日。3月8日と11月19日の中間であるこの日は、国際ノンバイナリーデー。また、この週も啓発週間(awareness week)とのこと。

私も当事者として、男女どちらかに嵌まれ(ら)ない在り方が尊重される世の中が来ることを願う一人です。身の回りには……もとい我が国には男女二元論が隅から隅まで浸透していますから、ノンバイナリとしての「権利の獲得」までを求めるのは難しいかも知れません。私くらいの歳の人間が生きている間は。であっても、拙ブログで私が何度も述べているように「少なくとも否定されない」ことくらいは求めさせてください。

呼ばれ方、待遇、服装、規範、待遇……と、丼勘定な「男女」が前提となっており私達を締め付ける真綿はどこを向いても目に入ります。私は「男ではない」をgender identityとしつつも女性の極に振り切ることができないものですから、*1仕事はおろか趣味の時間でさえも少しずつちくちくと削られている感覚はやっぱりあるんです。いや、「できない」とは書きましたが、だからと言って「やろうとすればできる」質のものでもないですね。それはもはやidentityではない。「落とし所はそこではない/なかった」くらいの言い回しが適切でしょうか。

 

しかしまぁ、出生の段階では殆どの人がどちらかの身体を持って生まれてどちらかの性ホルモンを主に浴びて育つ以上、目指すものが「中間」であるのならそれは相当な茨の道だと感じるところです。必要以上にがっしりと出来上がってしまった自身の体躯を目の当たりにするにつけ、男性ホルモンが足し算であるように女性ホルモンも引き算であればどれだけ良かったろうかと思うばかり。ままならぬことですが、だからこそ当事者各々のリアル無しには尊重も受け入れも啓発も叶わない。それはバイナリなトランスも然りでしょうが、ノンバイナリであれば(優劣の意図は無いにせよ)なおのことと感じます。

*1:フォーマルスタイルで舞台に立つ以上、残念ながら男女どちらかでしか在れない状況は多い。