ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

切るか切れるか切られるか

昨夜、遂に所属するオーケストラの練習が再開しました。本来のキックオフから1ヶ月遅れでのスタート。今秋の演奏会は細心の注意を払いつつ今の所実施予定ですが、情勢次第ではどう転ぶかわからない危うさがあります。公共施設も多くは今まで利用していた際の半分以下の人数にならざるを得ず、換気目的での頻回の休憩はありがたいですが勝手はかなり異なる今シーズンです。

 

ここで一緒にやっている仲間達は大半が大学学部時代からの付き合い。長い人とは干支1周以上。折に触れて書いている気がしますが、私の姿が徐々に変わってきていながらも表面上はそんなに変わらず音楽をやれるのはやっぱり良いもので。集まって合奏するのが3ヶ月半振りというのもあって、Before COVID-19時に享受していた日常のありがたみがとても沁み入る時間でした。

f:id:julia88h:20200713124219j:image

 

一方でこの日常への懸念もあって。性別移行に伴い昔の関係を切っていく…というのは多くの当事者さんから聞くところ。学齢期から卒業・進学というコミュニティの変化に伴って大体の人間関係がリセットされてきた私ですが、いざ 「切る」となると躊躇いがとても大きい。人間関係を長く続けること(こそ)が良いと原家族には言われ続け、卒業した学校の友人と関わらなくなることを咎められ続けてきた故でしょうか。或いは、首都圏アマチュア音楽コミュニティの狭さ故に、そこを去ると遠方に移住するか外部交流の乏しい地域密着楽団に所属する以外に趣味もといライフワークを継続できる余地が無くなるからでしょうか。

現時点ではこうしたことをする必要性はまだありませんが、やっぱり自分という異物の存在を考えると時々頭をよぎってしまう。自分が切るのか相手に切られるのかも、捉え方だろうけど線引きが難しい。自然と切れた…なら納得もできますが(古巣の場合は性別移行以外にも仕事上の理由や他との兼ね合いが色々あったので微妙なところ)。

 

でもよく考えたら性別以外のことでも関係を切った/が切れたケースってあるんですよね。教会とかはそう。きっかけは怪我だったけれど。こういう時に「久しく会っていない」と取るのか、或いは「もう終わった関係で二度と会うことも無い」と取るのか。今言えるのは、恐らく「関係修復の余地の有無」がキーになるであろうことくらい。自分を含め個々人に依存する問題でもある。

教え込まれたせいもありましょうが、私の場合は修復の可能性を信じたいし、突然の失踪や喧嘩別れのようにはしたくないと考えています。たくさんの後悔や自戒を経て。甘ちゃんだわね。じぇじぇじぇ。