ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

ジェンクリ #45

2月は都合で今日だけのジェンクリへ。なんだか今までに無く長話をしてしまった気がします。

 

主に性別移行の継続可否と街中での不審者扱いについて。私個人が内心でどう思おうと客観的に容姿の改善が見込めない以上は移行を進める資格が無いと考えていること、外出する度に最低2回はすれ違う人々から嗤われるかディスられるか見られるかするので自分の加害性を申し訳無く思うこと。

これらを主治医は『気にすると余計に周囲に対する感覚が研ぎ澄まされて気になるという悪循環になるので流すのが一番だと思います』と一蹴。悪循環なのは自覚しているがおいおい……学校に通えていない小1の時分から道行く全ての人の姿や視線を気にするようになった筋金入りの私に気にするなと仰るのか。こちとら大ベテランやぞ。『意識して気にしないようにする、というのは気になっているということなので。禅問答のようですが』ってそれはそう。対処法としては『今している行動と目的に集中すること』だそう。周囲の視線や言葉がありそれで感情が想起されたとしても、それはともかく帰宅なら帰宅・買い物なら買い物等、今その時点のことに集中するのだと。今の私の心のリソースの振り方を全く別の方向に向けてそちらを中心にしていく。それが悪循環から抜け出る一つの方法ではないかと『あくまで一般的にですが』仰るのです。

 

そんなことで……とは思いますが、一度くらいチャレンジしてみるのも一興ですかね。事実、外出の度に前より周りの声を拾いに行っていた所はあるし、何ならよく聞き取れない言葉であってもわざと自分に引き寄せて自ら被害妄想を深めていった節すらあった。それで現実の厳しさを自覚して私には無理だと「安心」するのだけれど、自分の身体をまじまじと見てみると放置した場合の今後が恐ろしいという気持ちに立ち戻る。自傷しに行かないと安定を保てない……みたいなものかね。厄介な性分だこと。

まぁ、これをやってみようと思うのは悪循環から抜けたいのが半分ですが、もう半分は『主治医がそう言ったから』であることにも自覚的であらねばなりません。受診後に覚えた安堵感や開放感は「策が見つかったから」なのか「主治医が指示してくれたから」なのか。「先生がこう仰ったのに変わらなかったじゃないですか!!」と怒りをぶつける余地を残そうとしてはいないか。試しながらもこの辺りのことを丼勘定で見過ごしてはいけないなと思うのです。