ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

新・職場とセクシュアリティ #3

去る木曜日はオンライン勉強会でした。先月に比べかなり小規模だったのは、金曜日ではなかったからでしょうか。或いは常連さんが私が参加する空間に居合わせたくないからと見合わせた線も捨てきれず。それだけのことをしてきてしまったわけですから、自業自得と言われればその通り。

 

今回の事例はトランス男性と子持ちシス女性とのパートナー関係について。わかる人向けに簡単に言えばS山F野氏のご家庭のような感じの。こうした「戸籍上は同性」のパートナー関係を巡る制度を概観すると、私はやはりこの一言に尽きます。

 

うわっ、同性婚ができない故にねじれていること、多すぎ……?

 

S山氏においても、現状では「シングルマザーと同居人の女性」という実態とはおよそ離れた記述を(やむなく)されてしまうのが今の日本。法律上の関係を築く為に養子縁組を用いるカップルのケースは講演会やドキュメンタリーを通じて知ってはいるけれど、それはあくまで抜け道であり力技なのだと感じます。たとえ片方がトランスのカップルでなくても、パートナーや子の有事に然るべき支援が受けられないのは納得できるものではありません。無性愛の私自身は同性婚が法制化されてもその恩恵に与ることは無いですが、無関係では絶対にない。その変化により世間の風潮が変化していけば、「現時点で"普通"や"伝統的"とされている以外の暮らし方をしている人々」全体が窮屈でなくなっていくのではと私は考えています。

 

早川タダノリ氏の著書「まぼろしの『日本的家族』」など、いわゆる"普通"或いは望ましいとされている暮らし方を述べたものを読むことは、同性婚を反対する立場の考えを知る上で大いに参考になることでしょう。"普通"って、そこに違和感無く嵌まれる人にとってはとても*1楽だけど、そうでない場合にはこの上無く窮屈なものですよ。うん。

*1:そうでない人が考えざるを得ないことを考えずに済む、とも言う。