ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

新・職場とセクシュアリティ #9

昨日は毎月の勉強会。お昼時の開催だったのですが、午前中に予定があったので、急いで帰宅し食事を済ませzoomを立ち上げて……とやっていたら、なんだかんだでギリギリでした。

 

今回の事例は職場での緊急連絡先について。職場にも実家にも同性パートナーの存在を黙っていた職員が被災してしまい、入院中に実家の家族に存在がバレてしまい……というもの。先の地震のこともあり、トランスの事例ではないけれど他人事には思えませんでした。

私は入職手続時に緊急連絡先の提出を求められたので、*1今よりはまだ折り合いが悪くなかった実家の連絡先を提出。幸い、職場から連絡が行くような緊急事態には遭遇していませんが、今後その可能性があると考えると不安でたまりません。現住所だって実家には隠しているのに。それで衣類やらコスメやら薬やらを入院中にガサ入れでもされたら、命がある自分のことを呪うでしょうよ。殺してくれとさえ思うわ。こうでもならないとカミングアウトできないかも知れない。けれど、そう考えているさなかに、回復を待ち身動きの取れないさなかに、きっと両親は私の髪をバリカンで刈るのでしょうね。

……世の中の情勢も自分を取り巻く環境も安心できるものではないからこそ、「もし大災害や戦争や急病の時にどう対処するか」を練っておくことの重要さを痛感させられました。それこそ、職場への届出先を変えることができるなら、そうした方が良さそうだ。血縁以外の人間じゃ、ダメなのかな。「ちゃんとした」人だとわからないから、ダメなんだろうな。もしかしなくても、詰んでない?とか思考停止しないで、手を付けられることから現実的に考えないといけないんだけどさ。どうにも悲観的になってしまうのは、そろそろやめたいものだ。

 

ちょっとしたぼやき。

こういった勉強会に参加すると、例えば同性パートナーへの法整備とか同性婚とかトランスの施設利用とか、人権を重視する思考回路にその時はなれるんです。けれど、"反対派"とされる側の理屈もわかる所はある。加えて、現実に即して生活しようとすると、当分は"反対派"の意見を主流と見ることになる。だから、勉強会をやっていた時まで見聞きし自分も感じていたことと真逆の内容でも、翻してすぐ心から同調してしまう自分がいます。

極論と極論の間を縫って「うまいこと」生きていくのが現実だとしても、ネット上の言論空間では対立している双方のどちらかに同調しておかないと、後ろから撃たれるのがオチ。それに、キラキラ人権派な主張を信じて行動しても、期待を裏切られた時のダメージの大きさを考えると身を任せるにはまだ危うい。「個々人の生き方に他人が干渉してんじゃねぇよ!」って、これは本心から思っているんですけどね。現実ではないが故の夢物語、なのだろうか。

*1:良いとは言ってない。