ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

もし我が子が

「もし我が子がFtMだったら」から始まる、とある論客の発言。温泉に行った際は女湯に入るよう諭すのだとか。さっと眺めただけでも炎上しています。珍しく政治的な話題に触れてみる。

 

いやそもそも連れて行くなよ!」が最初に読んだ時に感じたことですね。子のことを『娘』と呼んでいるし、子本人の意思はどこにあるのか。しかし同時に私は「親はこう言うものだよなぁ」とも思ってしまいます。少なくともうちの両親なら言うね。私本人がどう感じるかよりも、自分達が良いと思うことをしてあげているかが勝るこの感じ。ものすごく覚えがある。

当該発言自体が現実のシチュエーションではない"想定"であり"思考実験"。これを具体的に検討することにどれ程の価値があるかわかりません。ただ、家族連れで親に主導権がある所を見ると、子本人は恐らく未成年で治療もさほど進んでいない状態と思われます。それで公衆浴場での入浴なんて裸になる状態、一番自分が嫌悪している自分の身体を衆目に晒すことになります。多感な思春期に。え、無理でしょ。

ですが、温泉に連れて行くというのは家庭にとって一つの贅沢。親はそう「してあげている」し、子としてもそう「してくれている」から立場上も無碍にはできない。というより、反論しても勝ち目は無いとわかるから渋々応じると思います。私ならそうするでしょう。私の場合は。これは、私自身が治療段階と容姿の面から今も現役で男湯を利用しており、仮に最後まで治療を進められたとしてもそちらしか利用できないと思っていることも影響していますね。

 

見る人が見れば、私は「自分がそうだ(った)から」というバイアスに囚われているのかも知れません。実際自分でもそんな気がしている。それを思うと私の考えは安易に一般化できるものでもないし、してはいけないでしょう。「私の経験では・我が家では」当たり前に起こ(り得)ることであっても、それを「全てトランスとその子を持つ親は」に当てはめることはできない。

だからこそ、当該発言に対しては「いやそもそも連れて行くなよ!」と改めて述べたい。改めて他の人の反応を見てみると、親の立場から同じように述べてくださっている方も数名おられました。加えて、子を自分とは違う人間として真摯に向き合え……と。そう主張する方々の存在がありがたく感じた一方で、「はいはい親ガチャに当たって良かったですねー世の中ハズレの方が現実ですよ」と一瞬でも私は思ってしまった。私自身に黄信号。真っ当なことに対して自分基準で妬みをぶつけようとするのはまずいわ……。私の周りを取り巻く価値観を、そうでない他人に真理であるかのように語ろうとするな。親子関係に関する発言だったから自分のバイアスらしきものを少しは言葉にできているけれど、これを紐解いていくのは相当な難産になりそうだ。