ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

除睾哀史 #20 術後3ヶ月

本日、無事に術後3ヶ月を迎えました。2ヶ月後くらいまでは残っていた創部の糸はいつの間にか無くなったし傷は塞がったし、懸念だった静脈の腫れも今は無し。流血からの再圧迫や大きな腫れなどありましたが、無事に落ち着いてくれて良かったと本当に思います。

ホルモンバランスについては、ペラニンデポーの投与(だいたい隔週)量を術前から半減。それでもいわゆる「ホル酔い」はあるので、効きは強くなっていると言えるのではないでしょうか。血液検査こそ結果待ちの状況ですが、"致命的"な体調悪化は今のところありません。「ホル切れ」諸症状が1日早まったのは明らかな変化ですが、日常生活に支障をきたすレベルのものではない。とは言え、まだまだ心身の変化は注意深く見ていく必要があるかと思います。

 

睾丸摘出をしたことでの(3ヶ月経過時点の)変化としては、

  • 局部が物理的にややコンパクトになった。おかげでボトムスのウエストをレディースに近付けることができ特にスキニーは穿き易くなった。
  • 「男性ホルモン復活の恐怖」から解放された。AGAをはじめとする身体のさらなる男性化の進行を食い止められた。
  • 投与直後の「ホル酔い」としての頭痛やむかつきの症状が強くなった。
  • 肌質が少しだけ乾燥肌寄りになった……と思われる。季節の変化に伴う湿度の低下もあろうが、それにしてもと感じる。とろみのある化粧水を術前は全く受け付けなかった。

顔や体格に変化らしい変化が見られないのは残念ですが……より長いスパンで見ていくつもり。

そして何より、術前より少しだけ自分の身体を許せるようになった気がします。まだまだ"本丸"が残っているものの、常に悪さを働く異物が無くなっただけでもだいぶ落ち着けるってもの。肉体的に「純度100%男性」ではなくなったことで、引き戻されない安心感は多少ながら得られました。男性として生まれ社会的にも男性として生活している事実は未だ変わりませんが、焦りが減ったなと思います。

治療を始めた当初はもう少し早く切る予定で、経済的事情やプライベート都合で泣く泣く延期をしていました。男性ホルモンの強い作用で10代にして厳ついオッサンに成り果て、幾ら自分の男性の身体が嫌いでもどうにもできないと思って20代を棒に/を振ってきた。しかし、種々の医療的・美容的ケアを重ねて睾丸摘出に至った。至れた。道の途中ではあっても、確かに決定的な前進なのでしょう。当然、まだ完全ではないことにより思い悩むことはあります。それでも、今年の私が取った数多の選択肢の中では最も重要な選択だったことは恐らく動かないかと。先の悩みは先の自分が。

 

……ということで、執刀医からも年内は注意深く様子を見るよう言われていた睾丸摘出から3ヶ月が経ち、目安でもある年内もあと2週間ほど。シリーズとして執筆してきたこの「除睾哀史」は、今回の#20でひと区切りとさせて頂きます(#0があるので厳密には21ですが)。何かあったらこのシリーズとしてまた更新するかも。まぁその時はその時で。 ありがとうございました。