ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

自分を生きろ

再びの「送り付け」事案発生。

 

ふと*1実母のInstagramアカウントを覗いたら、今タイムリーな何らかのブツを私に向けて送ったとの投稿があった。

『Valentine🍫送っちゃおっ~ (笑)どんな顔するかなぁ!?』

頼んでもいないし、向こうとしてはサプライズで喜ばせてあげようという魂胆らしい。30代半ばの息子に?これ本気なんだよなぁ……。投稿に加え、そこでのフォロワーとのコメントのやり取りも本当に本当にグロテスクで、心をぐちゃぐちゃにかき乱されてしまっています(『』内が実母)。

・いつまでも可愛い息子さん→『アラサーのひとり息子なのでついつい、嫌がられない程度の按配に気を遣いつつ~です(笑)^^;』→わかります~wうちもひとり息子、いつまでもボクちゃんですよねw→『ハイ~おっしゃる通り~共感ですぅ』

・ママからのバレンタインチョコは照れ嬉しいに決まってますよ→『アハハァ~すっかり大人になっているのにママの中では、まだまだガキンチョなんです(^^;;』

・可愛いバレンタインのプレゼント 幾つになっても可愛い我が子ですもの、ママの優しい気持ち通じますね→『お恥ずかしいですが、親バカ…事実ですから、笑っちゃて下さいなぁ』

 

こう、なんというか、自分がやっていることで私が喜ぶに違いないと、善行であると信じ込んでいるっていうのは悪意よりよっぽどタチが悪いのだとはっきりわかりますね。「いつまで経っても子供」「親の心子知らず」といった言葉は、親である人達が子育てを通して感じた悲喜こもごもをお互いに分かち合う言葉としてなら価値があろうさ。それらが当の子本人に向く時、円満な家庭であれば「親の言うことだから」と納得できるのかも知れない。しかし、親の示す"普通"の価値観に自分が嵌まるのがどうしても無理で、積極的な介入を良しとする過干渉っぷりから(牛歩ながら)逃げようとしている身にとっては、失望であり恐怖でもある。自分は向こうが思っている通り本当に「いつまでも子供」でしかなくて、一人の独立した大人と見られることは無いのだろうなという思いに苛まれます。

*2便りが無いのは良い便り」というのは私が好きな言葉ですが、私の側がそれをしているだけでは意味が無いのだと無力感を覚えてしまいました。今回に限らず、向こうが頻りに便りをよこしてくる。例えば年末年始や誕生日のような節目とされる時ならまぁ仕方無いかも知れないけれど、そうじゃないから困っているわけで。

ねぇ、私はそこまで信用がありませんか?あなたは私が心配なのかも知れませんが、見ている対象は本当に私ですか?私が幾ら嫌だからやめろと言っても、それでもなお介入を続けますか?だとしたら、私の意思を尊重しているとは言えませんよね?あなたの「心配している息子思いの親でありたい」という意思の方が優先されていて、そこに酔いたいだけだと言われても黙って頂きたい。脊髄反射で噛みつきたくなっても、牙を収めて私にここまでのことを思われているという事実と向き合うことを望みます。それができないであろうことはわかっていますが。私は私の人生を生きようとしているのです。あなたも私にかまけずご自分の人生を生きてください。

 

本格的な衝突が来るのであれば、こう言いたいものです。結局、勇気が無くて私の方が牙を収める格好になりそう。なお、当の荷物については18:30時点で旧居ポストにも現自宅にも不在票が確認できず。ヤマト運輸なら転居による転送サービスを使い始めたので恐らく*3転送に伴うラグがあって未配達なのでしょうが、他の業者だとしたら持ち戻りから転居がバレて詰み。どうか前者でありますように。

*1:フォローなど当然せず検索履歴に入れて監視している。

*2:これを、素振りしながら何度も叫ぶ言葉としてユーモラスにエンパワーするものとしてくれた大切な友人には感謝しかありません。時々叫んで自分を奮い立たせています。

*3:転送サービスの開始を示すヤマト運輸からの書類が届いた際に経路を見たら、旧居住所の最寄り営業所を経由してから転送されて来ました。