ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

行かない勇気

今日は大切な友人が出演する演奏会を聴きに行っていました。長年親しんでいる演目で、アマチュアだからこその熱量とステージ構成も相俟って、「ここまで楽しんだの いつ以来かしら!」と感じた公演でした。対戦ありがとうございました。

 

さて、今回も場所が場所だったので考えていたのが母方祖母の墓参り。電車に乗ってまで行こうかどうか迷っていましたが、諸々考えた結果、行かないことに決めました。

理由として大きかったのは日時。実家の両親にとっても、祝日のお昼どきというのは出向きやすい日と時間。ということは、現地で遭遇する可能性もゼロではない。そのリスクを冒してまで行かなければならない……のか?と思ってしまったのです。

当然、祖母に罪は無い。同時に、この日この時間に行く義務も無い。ひいては、あの実家との縁を切りたいと思っているのに墓参りをすることが、実家との繋がりをわざわざ維持し強めるような行動になっていないか?そう考えるに至りました。仮にここで墓を掃除し墓前に真新しい花を供えて「恩を売った」として、実母からそれに対するお礼があったとしよう。だとしても、それはそれでしかなく、私の抱えていることに対しての肯定的な反応は来ない。そうわかっているのになおやるのか?……とまで考えた時、無理に行かなくても良いのではという所に落ち着いた次第。

 

墓の最寄り駅を電車が出る時、乗ったままの自分に罪悪感を抱きましたよそりゃ。でも、こういう周縁的なトピックから「振り切る」ことに慣れておかないと、共依存の沼は手ぐすね引いて待っている……のでしょうね。