ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

10年ぶりの母教会

今年のクリスマスイヴはお昼過ぎにジェンダー外来定期通院。その足で、クリニックと同じ最寄り駅にある教会のキャンドルサービスに参列してきました。高校時代から10年前まで通っていたものの、「自分には信仰を持てない」と黙って離れたかつての母教会。離れるまではそれなりに教会の活動には関わっていたのもあって、気付かれたら『今更どの面下げて』との声や視線を向けられやしないかと、入堂するまでは緊張で震えました。

結果的には私だと気付かれなかったものの、礼拝堂には10年ぶりにお姿を見るベテランの信徒さん達が。牧師の異動もあれば一方で変わらない顔ぶれもあり、ずっと通っていた見慣れた場所で人知れずアウェイ感を覚えながら、キリスト誕生の喜びに与ることに。
クリスマスのメッセージは東方の占星術学者に焦点が当てられたもの。『いかがわしい異邦人』としてユダヤ人からは『救いには程遠い』とされた者達にこそ、星として初めに喜びが齎された……。奇しくも、信仰に至れないと自分を見なす私自身と重なるような重ならないような。学者らのように自分が大切にしていたもの(宝という具体的な物として描写されてはいるものの、回心の象徴でもあろう)を手放す程の喜びは未だわからないながら、"外側"の人にも救いを示してくださる神の御心に暖かいものを覚える聖夜となりました。

神様、こうした節目の時にしか貴方を思えない不信心な私を、今年も教会へと足を向けさせてくださりありがとうございます。私は日々どうしても「自分が、自分が」と他を顧みず過ごし振る舞ってしまう弱い者です。ですが、貴方は星を輝かせて示してくださっているのだと、忘れないよう在らせてください。