ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

ジェンダー外来初診から5年

が、経ちました。30代を迎え自分の行く末を考えるに当たり「このまま純度100%の男性として老いていき死んでいくこと」への絶望的な耐え難さを改めて自覚し、クリニックの門を叩いてからもうそんなに経ちますか。

 

ちょうど明日が定期通院日なのですが、"戦友"さんをはじめとして同時期に通っていた方々が次々と"卒業"していく中、私自身はずっと同じ箇所で足踏みをしているように思えます。何せ、主要な関係先へのカミングアウトすらできず仕舞いなのですから。実家、職場、趣味コミュニティ……あいも変わらず只の身体男性として通り続けております。

そんな中でも続けてきたのは身体的な治療。しかし、受けていく過程で社会的な立ち位置が変わったかと言うと、前述の通り何一つ変わってはおりません。自分の脚の間の容積が少しだけ(完全にでは未だ決してない)減ったに過ぎないのです。これにより内より湧き上がる嫌悪感の波が凪くらいにはなったにしても、"先"へ進む見通しは経済的にも社会的にも立てられていないのが実情です。

だからって無理にでも進めるべきと思っていないのは、この状況を納得させる為なのか。或いは嫌悪感の源を取り除いたことによるしばしの余裕ゆえか。そこも大事だけれど今の生活も守りたい……という辺りが近い所なのですかね。

 
これが終着点なのかと思うと、もう少しやれることがあったような気もします。ただ、嘘だと言われたり茶化されたりする未来を考えれば、臆病者にはお似合いの末路なのかもしれません。人間関係の再構築には、労力と共に傷つきも伴う……と聞きます。私はそれができなかっただけ。元居た方には戻れず、かと言って逆側にも振り切れず。そんな状態で他者を"納得"させられるだけの説得力を、私は持ち合わせていないし持てる見込みも無いので。

暫くはこのまま、内心は「多様な男性」として、客観的には「只の(ゴツい)身体男性」として。せいぜい死なずに生きてみましょうか。

 

10/14追記:今日の通院で100回目だったようです。別に節目だからどうこうとはなりませんでしたが。職場の考課面談にて、懲戒処分の基準が少しわかったので自分の容貌に関することで処分となる可能性が低そうなことに安堵した……などの話を主治医と。頻りに訊かれるホルモン投与の効果については、プラスの変化が起こることではなく「マイナスの影響が起きない」ことこそが良いのでは……という実感をここ1年ほどで得られた気がします。身体が変化していくフェイズが終わり、健康維持の側面が強くなってきたのかなと。その意味で、内分泌系の治療に関する追加の希望って余程のことが無いと出てこないだろうなと思っています。いや、社会的な面での相談事項が一向に出てこないのがまずいという自覚は一応あるのですが。