ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

中盤

に入りました。早いもので、もう「前半」と名乗れる年齢ではなくなったのですね。いよいよもって、フラフラしているのが許されない年齢という印象が強くなっております。昨夜から恐れていた実家からの連絡については、出勤前の時間帯に実父が

久しく会っていないが元気ですか。

今日は、34回目の誕生日、おめでとう。

今からも毎日を悔いなく生きてください。祈っています。

 

たまには家に訪ねてきてください。

とメールをしてきた以外にありません(原文パパ)。少なくとも本記事執筆時点(20:00)においては。当たり障りの無い内容で返信ができて本当に安心しました。一人暮らし始めたてのように頻繁に実家に帰らなくなり、他界した親族の法要も落ち着いて、そしてこのコロナ禍。向こうは不本意と思っているかも知れないけれど、会わない期間が長くなったことで「冷静さ」というか、「多くを口出しせず見守る」態度が両親にも芽生えたということなのでしょうか。実父については昨夏のメールの一件も影響しているとは思いますが。実母は知らん。プレゼントの"送り付け"とか、どうかしないでくれよ。転居転送サービスを利用しているおかげで到着までにラグがあるから、やり取りが面倒になるんだ。下手したら明日旧居方面に行かなくてはならない。善意というやつは、実に厄介なものさね。

 

さてさて、この歳になって人生に何の進展も無いというのもどうなのか。Aロマンティック故に、結婚!出産!みたいなわかりやすく大きなライフイベントが無いのはともかくとして、色んなものが「途中」のままになってはいませんか。趣味も、治療も、実家や職場との関係も。しかし、「進展も無い」というのはどうにも受動的な言い回しではないかと感じたのです。我が身を振り返るに、自ら進展させなかったのではないかと。周囲の出方を窺うのも大事ではあるにせよ、それに偏り自ら動かないようでは何の意味もありません。そう頭ではわかっていても、傷付く方へはなかなか踏み切れないもの。しかし、ここで前に足を出せるかどうかが"おとな"への境界線の内の一つである気がします。これから先の1年で何某かを「進展させる」年にできたのであれば万々歳、ですかね。